主婦之友 昭和13年新年号附録(冬の和洋料理)より、ねぎま鍋に続いて、蒸し料理をご紹介しましょう。經濟的(経済的)な蒸物料理として、蟹玉蒸・魚入り茶碗蒸・空也豆腐・魚の酢蒸・支那風の月見蒸など、30種類の蒸し料理が記載されています。その中から、吹寄せ蒸を…。 材料は何でも有合せのものでよろしいのですが、お客用でしたら、芝海老、焼板、栗などが取合せよく、なほ、あれば松茸も添へたいものです。 まづ芝海老は、くるっと皮をむいて鹽茹にし、焼板は縦に庖丁しておいていてふ形に小口から薄く刻み、栗はきれいに皮をむいて軟く茹でゝおきます。 次に、五六人前でしたら、大和芋を約五十匁ほど擂鉢に擂り卸して、その中に玉子を三四箇、一つづつ割り入れて擂り伸ばします。 そして、清汁より少し鹹目に仕立てた汁を、凡そ玉子の量の二倍くらゐ入れてよく混ぜ合せ、前の具を大皿か鉢に入れた上からたつぷりかけて、あまり強くない火で、お芋がねんばり蒸し上がるまで充分蒸し上げます。吹寄せとは、木の葉や花びらが風に吹かれ、ひとところに寄せ集められたような散らし模様のことで、幾種類かの煮物や揚げ物を、彩よく盛り合わせた料理のことを言います。つまり、このお料理は、海老や栗などを彩りよく大鉢に盛り合わせ、とろろ汁をかけてふわっと蒸しあげたお料理…いわゆる『とろろ蒸し』です。鯛や鱈などの白身魚や、うなぎなどで作られますね。わかりにくい箇所を解説しましょう。◆ 焼板・・・蒲鉾のことです◆ 鹽茹・・・塩茹で◆ いてふ形・・・イチョウ型◆ 五十匁・・・1匁(もんめ)が3.75gなので、187.5g冷蔵庫に残ったお野菜やきのこ、豆腐などで作ってもいいですね。本では全卵を使っているようですが、卵白だけでいいと思います。(入れなくてもOK)とろろは消化酵素を豊富に含んでるので、個人的には、加熱するのはもったいないなぁと思います。味付けした野菜などに、とろろをだし汁でのばしたものをかけるだけでも美味しくいただけますし、また、蒸す場合は、短時間でネご訪問ありがとうございますポチっとクリックお願いします。
今日は主婦之友 昭和13年新年号附録(冬の和洋料理)の鍋料理の中から、ねぎま鍋を・・・「ねぎま」と聞くと焼き鳥の「ねぎま」が浮かびますが、葱と鮪のことです。葱鮪(ねぎま)鍋鮪は、五分くらゐの賽目切にし、葱は同じ大きさの小口切にしておきます。鍋に、水三、酒七、醬油五の割に合せて火にかけ、煮立つたら砂糖を好みに入れて、煮えた片端から食べます。本に書かれていたのは上記だけでしたので、葱鮪鍋について調べてみました。江戸の町で好まれた鍋料理で、ネギとマグロを、醤油・日本酒・出汁で煮た料理。江戸時代の天保以降マグロが食されるようになり、当時は赤身は主に醤油に漬けて保存された。この保存法をヅケ(漬け)というが、醤油をはじき返す脂身(現代に言うトロ)の部分は腐るだけの余り物で、肥料にされるか廃棄された。しかし庶民はこれを上手く工夫して調理、ネギと共に煮たもの(多くの場合は醤油味)が葱鮪鍋です。 ----------Wikipediaより---------------保存技術がなかった江戸時代は、トロは腐りやすかったので、捨てるかただ同然の値段で売られていたというのは聞いたことがあります。また、「ねぎまの殿様」という落語があるぐらい、昔は庶民が行く一杯飲み屋でも葱鮪鍋はひんぱんに食べられていたそうです。廃棄するものを、無駄にしないで工夫し、俳句で冬の季語になるくらい、庶民に親しまれる味にしてしまったのはアッパレです。葱鮪鍋は、トロが捨てられるような時代だからこそ生まれた節約レシピですね。そして東京の郷土料理として、今に伝わる江戸の味ですいつもご訪問ありがとうございます江戸の味にクリックよろしくお願いします!
以前、主婦之友 昭和7年7月号の附録本(洋食のお惣菜)をご紹介しましたが、今回は、主婦之友 昭和13年新年号附録(冬の和洋料理)のご紹介です。この本はたくさんの先生方が指導者として紹介されていますが、祖母もその中に記載されています。なんと、オークションで落札しました鍋料理や、お客さま料理など、絵と文章で紹介されていますが、読んでいると、当時の食文化や食習慣が伝わってきて、とても面白いです温かい鍋料理です。『珍しい鍋料理』として、ちり鍋・古代鍋・コンビーフ鍋・烏賊鍋・貝鍋・鯨肉鍋・葱鮪鍋・支那風寄せ鍋・鰯のフライ鍋・しゃこ鍋などなど、二十種類の鍋料理が紹介されています。次回はこの本に掲載されている鍋料理の中から、一品ご紹介しますね。 みぞれ鍋 ヘルシー蒸し鍋 ブイヤベース かきの土手鍋 今日はとっても寒いので、お鍋を食べて心も体も温まりましょう。ポチっとクリックよろしくお願いします ←ポチッ
今日は、以前ご紹介した、主婦之友 昭和7年7月号の附録本の内容をご紹介します。昭和7年(1932年)といえば、5.15事件や、上海事変のあった年です。第二次世界大戦勃発(1939年)より7年も前です。祖母を含め、24人の先生方がお料理を担当していますが、陸軍大学教官夫人や、東京割烹女学校の先生などが担当していて、とても時代を感じさせられます。お惣菜向きの洋食や、夏の飲み物が、『魚・肉・鶏・玉子・野菜・ランチ・御飯・パン・麺類・飲み物とゼリー』に分かれて三百種類掲載されています。シチュー・カレー・マリネ・フリッター・オムレツ・グラタン・チャウダー・マフィン・プリンなど、家庭で作れる基本的な洋食がたくさん載っています。他にも、洋食の食卓の飾り方や、食卓作法、、ソースの作り方、西洋料理の名称、調味料、西洋野菜、西洋料理器具などなど、詳しく書かれていて、とても興味深いです。夏の食材を使ったお料理の本なので、夏になったら作ってみます。レシピを見たところ、このまま作っても、明らかに現代人の口に合わないであろうと思われるものが多いので、今作って食べるとしたら、調味料の分量などを変えたり、アレンジする必要がありそうですが・・・『お惣菜の洋食について』として書かれている文章です。時代とともに人の味覚も変わってまゐります。なんといつても今の時代の人には、日本在來の煮たり焼いたりした料理よりも、洋風を加味したものが喜ばれます。 例へば、鯵の料理をするといたします。煮魚などにしたら、お義理でこそ食べてもくれませうが、誰も喜んでなど食べません。それを、ちょっと塩、胡椒して、フライ鍋でジュとバタ焼きにでもしませうものなら、どんなにか御馳走のやうに喜んで頂きます。・・・この文を読んだだけで、この時代をうかがい知ることができます。当時の日本人にとって、西洋料理はとてもハイカラなものだったのでしょうね。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年の東京が舞台になっているのだそうです。そう考えると、それより更に26年も前なのですから…納得できますね My Rootsご訪問ありがとうございます。ポチっとクリックしていていただけると嬉しいです
主婦之友 昭和7年7月号の附録です。昭和7年というと、1932年・・・78年も前のものです。古書の専門サイトで見つけました。この冊子に祖母のレシピが何点か載っています。祖母は料理研究家でしたが、当時はまだ祖父が健在で、先生紹介欄には、医学博士の祖父の夫人として紹介されています。祖母の本は何冊か手元にありますが、こういう付録などはないので、見つけた時は嬉しかったです医者だった祖父と共に、ウィーンで生活していた祖母は、滞在中に、料理と栄養学を修得し、祖父が他界した後は、料理番組の草分けとして活躍し、栄養学と新しい料理の普及に貢献しました。私が子供の頃に、お料理の分野は父にバトンタッチし、祖母は栄養学校や短大の先生として栄養学を教えていて、私が高校生の時に他界しました。私のルーツであり、その後の私の生き方に大きく影響を与えた、最も尊敬する人物です。掲載されているお料理や、他の書籍などは、今後少しずつご紹介していきますねいつもご訪問ありがとうございます。今日も1ポチよろしくお願いします ←ポチッ